2012年8月2日木曜日

「ヴィパッサナー」体験記(その2)

以下、この瞑想法の考え方の僕なりの理解ですが、

人間が抱く苦悩の原因は「嫌悪」と「渇望」
というのがまず根本の思想としてあります。

人間は、自分にとって「悪い」ものを嫌悪し、
「良い」ものを渇望します。
そして「嫌悪」という感情を抱いたとき、
その「嫌悪」という感情をも嫌悪し、
「渇望」という感情が満たされたとき、
さらなる「渇望」を求めてしまいます。
このように、「嫌悪」と「渇望」という
苦悩のループから抜け出せないのです。

さて、人間が「嫌悪」や「渇望」という感情、
つまり精神的な反応をする際、
体の仕組みとして、意識的であれ無意識的であれ、
身体的な感覚を伴います。
気付きやすいところで言うと、呼吸の乱れ。
そして、気付きにくいところで言うと、
五感(あるいは六感)の微妙な乱れ。

「嫌悪」と「渇望」という苦悩が生じたとき、
前述のように、それに反応していては、
苦悩のループから抜け出せません。
だから、ヴィパッサナー瞑想法では、
呼吸や感覚をただただ「観察」するのです。

「嫌悪」や「渇望」という苦悩や、
それに対応する呼吸や感覚の乱れという身体感覚を
「嫌だな」とか「気持ちいいな」と評価せずに、
ただ「呼吸が乱れているな」や
「膝に痛みがあるな」「頬に痒みがあるな」と
客観的に、事実をありのままに、観察します。

そういった身体感覚は、
ずっとあり続けるものではなく、
長かろうが短かろうが、いずれ消え去ります。
そのように、感覚に反応せずに、
感覚が存在することや消えていくことを
ただ観察することによって、
「嫌悪」や「渇望」という苦悩も同時に消えていく

という考え方のようです。
(繰り返しますが、あくまで僕の理解です)

(その3に続く)

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