2012年7月31日火曜日

「内観法」体験記(後編)

昨日、7月1日から7日まで
内観法という瞑想の修行をしてきたことと、
その内観法の簡単な説明を書きました。
今日はその続きで、やってみての感想を。

まずは、1週間ずっと半畳の空間で座り続けるのが
とても大変だったということです(笑)
膝は痛くなるし、眠くなるし、集中できないし。。。

心と頭の回路がつながった!
という瞬間もありませんでしたし、
滂沱するようなこともありませんでした。

ただ、これまで気付いていなかった
とても大切なことに気付くことができたんです。

それは、「していただいたこと」よりも
「ご迷惑をかけたこと」に重点を置いて振り返る
というこの内観法の特徴とも関連しています。

これまで僕は、誰かに「していただいたこと」に
「感謝」することはあっても、
誰かに対して「ご迷惑をかけたこと」に対して
「申し訳ない」とは思っても、
「感謝」をしたことはなかったな、と。

でも、僕が誰かに「ご迷惑をかけた」ということは、
逆からみるとその相手に受け入れていただいていた、
ということだったんです。

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、
「さすらい」に出る直前にとても仲の良い友人から、
「ほんと自分勝手だよね~」と罵られて(笑)、
どこが?くらいにしか思っていなかったんですが、
そう言われた意味がなんとなくわかった気がします。

自分の人生だから自分で決める、
なんて思い上がった考えをしていましたが、
両親はもちろん、周囲の友人や会社の人たちなど、
たくさんの人からの「受け入れ」があって、
いまの僕はいるんですよね。。。

自分が「当たり前」だと思っていたことは、
周囲の方々に支えられ、許され、
受け入れていただいていた、「有り難い」こと。

それが深く理解できたので、実りの多い1週間でした。


興味ある方は是非◎

2012年7月30日月曜日

「内観法」体験記(前編)

7月1日~7月7日の1週間、
栃木県にある「瞑想の森 内観研究所」で、
内観法という瞑想をしていました。

内観法とは、1週間、朝6時から夜9時まで、
四方を壁と屏風で囲われた半畳の空間に座り、
自分自身を見つめ続ける瞑想法です。

見つめ方に特徴があって、1回あたり約2時間、
特定の身近な人(主に家族)一人ひとりに対して、
時系列に数年間ずつ期間を分けて、
「していただいたこと」「して返したこと」
「ご迷惑をかけたこと」を2:2:6の割合で
振り返り続ける、というものです。

効果はもちろん人それぞれだと思いますが、
周囲の人への深い感謝の念を抱いたり、
肉体的・精神的な病気が解消したりするそうです。

僕は、強烈な問題意識を抱いていたわけではなく、
仕事で親しくしていただいた方からのお勧めで、
やや軽い気持ちで参加しました。

ただ、普段から、頭や言葉では感謝していても、
心からの感謝を抱きにくいというか、
心と頭の回路がつながっていないというか。
そんな感じだったので、それが持てたらいいな、と。
(こんなこと考えている時点で頭でっかち。苦笑)

で、実際にやってみた感想ですが、
ちょっと長くなりそうなのでまた明日に。。。笑

2012年7月29日日曜日

自然の神秘に触れる

今回の旅の目的は農業を始める土地探しですが
所々で観光もしています。

そんななかで、改めて思ったのは、
僕は自然が好きなんだな、ということ。

お寺や神社、お城などの建築物も好きですが、
それ以上に、自然の美しさを観たい、というか。

もちろん、白神山地にせよ、どこにせよ、
人間の手が入っていない場所なんて、
ほとんどありません。

それでも、人間には作り出せない色や造形、
人間よりも遙かに長い年月を経てきた重み。
そういったものに、畏敬の念を覚えるというか、
神秘的なものを感じるというか。

なぜかはわかりませんが、
その自然の神秘を観て回りたいな、
と思っています。

2012年7月28日土曜日

仙台にて

仙台では1日だけでしたが、
農地再生のボランティアをしました。

僕が利用した団体さん(Re:Roots)は
僕が行った日は約30人のボランティアがいて、
週末には200人になることもある、
というような大規模な活動をされていました。

その活動の規模に驚いたのと同時に、
少しの違和感というかやるせなさというか、
そういった感情を覚えたんです。

というのも、仙台の前に、本吉で4日間ほど
農地再生のボランティアをしていたとき、
メンバは2~4人しかいなかったからです。

仕方がないこととはいえ、
やはりアクセスがよい場所には人が集まりやすくて
電車が不通のまま等アクセスが良くない場所は、
人が集まりにくいんだなぁ、と。

農地再生の対象となっている畑や沿岸部に行くと、
建物の基礎部分しか残っていない空間があって、
そこから想像できる津波の脅威はすさまじくて。
ただ、仙台の中心部では、
震災の影響を少しも感じませんでした。

ボランティアの作業をしているときに
仙台の中心部在住の方とご一緒させていただき、
当時の状況(停電がしばらく続いた等)を
教えていただきました。

ほんと、すぐ近くの場所でも、
被害状況も復興状況も様々なんだな、
と感じた仙台滞在でした。

2012年7月27日金曜日

農地が「再生」するもの

気仙沼市の本吉地区で、
農地再生のボランティアをしていたときに、
大きな瓦礫を取り除いた区画を
地元の方にお渡しする機会に
運良く同席することができました。

6組の方々に農地をお渡しすることができて、
翌日の早朝から早速、畑に手を入れている
おばちゃんもいらっしゃいました。

少しの時間ですが、おばちゃんたちと
一緒に作業する時間も持てて。

そのときに、
ずっと仮設住宅にこもってると気が沈むからねぇ
こうやって体動かすといい気分転換になるわぁ
と言って、
お友達のおばちゃんと笑っている姿。

「ご苦労さん」「ありがとうなぁ」と笑いながら
お菓子や飲み物などを渡してくださった姿。

とても印象的でした。

おばちゃんたちの
震災前の「日常」がどのようであったか。
震災後の「日常」がどのようになってしまったか。

いずれもはかり知ることはできませんが、
畑を再生することで、土の力だけではなく、
人のつながりも生まれていくんだな、
って思ったんです。

このボランティアにかかわったみなさんが、
約1年かけてたどりついた「通過点」に、
数日の滞在期間で立ち会えたのは、
本当に幸運なことでした。


2012年7月26日木曜日

石巻:大川小学校のまわり

パッと見たときは、
もともと何もなかったのかと思いましたが、
よく見ると、建物の基礎が残っていたりして、
実は民家がたくさんあったことを知りました。

2012年7月25日水曜日

石巻:大川小学校

たくさんの生徒さんが犠牲になられた小学校です。
周囲の民家等はほぼ撤去されていましたが、
建物が残されていました。

2012年7月24日火曜日

2012年7月23日月曜日

石巻:日和山から(その1)

石巻駅から近くにあって、
市街地や海岸線沿いを見渡せる山からの景色です。

2012年7月22日日曜日

石巻にて

陸前高田や気仙沼、南三陸などは
今回の旅で初めて訪れたので、
復興の「進み具合」などは
正直、よくわからなかったのですが、

石巻はちょうど1年前に2日間×3回、
瓦礫撤去のボランティアで訪れていたので、
2011年の6月と、2012年の6月を
自分のなかで比較することができました。

そうすることで感じたのは、
とても良くなっている地域やこともあれば、
まだまだ変わっていない地域やこともある
ということです。

たとえば、1年前に訪れたときに、
まず衝撃だったのは、悲惨な光景もさることながら
すさまじい「におい」でした。

瓦礫や化学薬品、魚などが混じったヘドロが、
まだ町中にあり、すさまじい臭いだったのです。

また、そのヘドロにウジ虫が大量にわいて、
ハエの数がうんざりするほどいました。
(ハエにたかられずにご飯を食べることは不可能で
 マスクや耳栓をしないと寝られませんでした)

それがいまでは、
ヘドロはかなりの地域で除去されていますし、
においがひどい場所もほんのわずか。
ハエは全く気になりませんでした。

去年は町中のいたる所にあった瓦礫や、
崩れたままの建物もだいぶ減って、
営業を再開したお店がたくさんあり、
駅も復旧していて。

気仙沼でも感じたことですが、
鉄道が動いている地域というか、
海岸線を走る路線上だけにある駅ではなく、
内陸部からつながる路線上にもある駅は、
人が集まりやすいし、もともと中心地なので、
復興のペースが速いんだなぁ、と。

一方で、海岸線に最も近い地域や、
市街の中心部から外れた地域は、
大きな瓦礫が撤去されただけでなにもない、
という状態のところも多くて。

あと、良い悪いはさておき、客観的な事実として、
ボランティアの数は激減しています。
一方で観光客(という表現は違和感がありますが)
はとても増えているという印象を受けました。

復興もある程度すすみ、
「見る」ために訪れる人を受け入れる体制が
整ってきたということなのかな、と。

2012年7月21日土曜日

南三陸:南三陸さんさん商店街

南三陸の復興商店街です。

陸前高田の未来商店街よりは人が多かったですが、
気仙沼の復興屋台村気仙沼横丁とくらべると
かなり少なかったです。

2012年7月20日金曜日

南三陸:防災対策庁舎

津波に飲まれる直前まで、
避難放送をされ続けた職員の方がいた
防災対策庁舎です。

正面には千羽鶴や献花がたくさんありました。

2012年7月19日木曜日

南三陸:旧市街地

ここも、言葉を失う状況でした。。。

雨だったため写真か曇っています。

2012年7月18日水曜日

南三陸にて

陸前高田の被害状況の凄まじさは、
耳にしていたのですが、
南三陸は、正直、あまり知りませんでした。

ですので、訪れたときは、声を失いました。

陸前高田と同様、海岸線に近いところに、
中心街や中心機能が集まっていた町ですが、
ほとんどなにもない状態。

有名な防災対策庁舎など、
一部の建物の鉄骨はありますが、
広い範囲にわたって視界が開けてしまっています。

南三陸さんさん商店街、
という復興商店街があるのですが、
気仙沼の復興商店街と比べると、
観光客はとても少なかったです。

おそらく、気仙沼は市の中心部が、
いくぶん内陸よりであることや、
JRが通っていることから、
アクセスがしやすく人も集まりやすいのかな、と。

一方で、南三陸は市の中心部は壊滅し、
JRも復旧していないため、
バスや車でしかアクセスできないという、
その差が現れてしまっているのだと思います。
(バスもどれに乗ればいいのかわかりづらい)

2012年7月17日火曜日

陸前高田:未来商店街

陸前高田の復興商店街です。
海岸線から8キロくらい入ったところ。
コンビニやスーパーなども近くにあり、
どちらかというと
地元の方が多く利用されているようです。
気仙沼の復興商店街と違い、
外から来ている人はあまりいない感じでした。

2012年7月16日月曜日

陸前高田:りくカフェ

現在の陸前高田市役所の近くにある
コミュニティカフェのようなところ。
地元の方が集まったり、
外から来た人が立ち寄ったりする空間のようです。

僕は宿を紹介していただく、
レンタサイクルを貸していただくなど
大変お世話になりました。

りくカフェさんのブログに載せていただきました(笑)
http://blog.livedoor.jp/riku_cafe/archives/7193043.html

2012年7月15日日曜日

陸前高田:奇跡の一本松

話題になった奇跡の一本松です(遠いですが)。
震災前までは、海岸線沿いに松林が。

この松自体は枯れてしまったそうですが、
子孫を残すことに成功したとのことです。

2012年7月14日土曜日

陸前高田:内陸部

恐らく、海岸線から6キロほど入ったところ。
ここにまで津波は及んでいます。。。
はじめ、これが津波の被害であることが、
信じられませんでした。

地元の方のお話によると、
7キロまで津波が来たとのことでした。

2012年7月13日金曜日

陸前高田:陸前高田駅

近くまで行かないと、
ここが駅であったことに気付きませんでした。

2012年7月12日木曜日

2012年7月11日水曜日

陸前高田にて

東日本大震災による陸前高田の惨状は
幾度となく耳にしていましたが、
実際に目にすると、言葉を失いました。

気仙沼でも感じたことですが、
それ以上に、何もない空間が不自然に広い。
人の気配が、ない。

陸前高田は、ここが本当にまちだった、
ということが僕には想像しがたい状況でした。

廃墟と化した建物がいくつか残るほかは、
海岸線から山のふもとまで見渡せます。

それだけではなく、
異様なまでの広さを感じたので、
なぜだろうと周囲を見渡して気づいたのは、
主要な道路をのぞいては電柱すらない、
ということです。

普段空が広く感じられるような場所でも、
電柱や電線が実は視界の片隅に入っている
ということが多いと思うのですが、
その電柱や電線すらない空間があるのです。

想像力や共感力の乏しい僕は、
やはり亡くなった方やご家族の気持ちは、
とうてい想像できないのですが、
通りすがりの僕でさえも、
震災から約1年3ヶ月後の
陸前高田のいまを目にすると、
お腹の奥の方に、
なにかこみ上げてくるものがありました。

2012年7月10日火曜日

気仙沼:復興屋台村気仙沼横丁

気仙沼にいくつかある復興商店街のうち、
いちばん人が入っていたところです。
僕はここで3回食事をしました(笑)

2012年7月9日月曜日

2012年7月8日日曜日

2012年7月7日土曜日

気仙沼:第18共徳丸

いまでも陸に打ち上げられたままの
第18共徳丸という船(約330トン)です。
昨日の写真の場所のように、
開けてしまったところにあります。

地元の方から反対も挙がっているようですが、
モニュメントとして保存するよう検討しているそうです。

2012年7月6日金曜日

気仙沼:旧市街地

気仙沼の写真です。
港から程近いところ。
建物の基礎部分だけが残っている状況です。

2012年7月5日木曜日

気仙沼にて

2011年3月11日の東日本大震災で
甚大な被害を受けた気仙沼にいきました。

いわゆる被災地と呼ばれる地域について
通りすがりに過ぎない僕が、
何かを語るのはとても難しいのですが、
自分が被災地の「いま」を訪れて、
どのように感じたかを残すために書きます。

僕は想像力・共感力がまだ低いので、
犠牲になられた方やご家族の方の苦しみを、
頭でわかった振りは多少できても、
心から感じ切ることはできません。

1年3ヶ月以上経ったいまでも、
中心街からはずれたところには、
壊れて瓦礫まみれの建物が残っています。
そのような建物を一つひとつ見ても、
「うわぁ」「まだ、、、」と思い、
気持ちが少し重くなる感じがするくらいでした。

・・・が、基礎部が残っただけで、建物は壊され、
あとは細かな瓦礫が散らばっていて、
車の残骸が一カ所に集められている場所に出て、
視界が開けた瞬間、言葉を失いました。

そのときに覚えたのは、あえて言葉にすると、
「さびしい」「かなしい」という情動。

亡くなられた方やご家族のことを思って、
ではなくて(僕には想像できません)、

ほとんどすべてが流され、
何もないままになっているその空間が、
あるべきはずの質量が存在していないような、
そんなさびしさやかなしさを覚えたんです。
人間でいうと、心が空っぽ、のような。

まちの中心部に近い地域や、
復興商店街のようなものがある場所は、
大型バスの観光客も来てにぎわいますが、
そうじゃないところは、
大きな瓦礫が撤去されただけの状態。

地盤も沈下しているので、
満潮に近づくにつれ、
どこからか海水が染み出て水たまりが。

ただの通りすがりに過ぎない僕には
復興商店街で美味しいご飯を食べるくらいしか
できることはありませんが、
この景色を、目に、心に、焼き付けよう。
そう、思いました。

2012年7月4日水曜日

「被災地」での僕の足跡(後半)

20(水)朝は台風の影響で、拠点でのんびり。
午後に車で拠点を出発し、
気仙沼市のとある場所にある農地へ。
そこの農地で少しだけ作業をして、拠点に戻る。

21(木)、22(金)、23(土)は、
朝に車で拠点を出発し、農地で作業をして、
夕方に拠点に戻る、というパタン。
21の昼はコンビニ弁当を近くの公園で。
22の昼は農地の近くにあるラーメン屋。
23の昼は南三陸さんさん商店街で。

24(日)朝にボランティアの拠点を車で出発し
JR石越駅まで送っていただく。
JR石越駅からJR石巻駅まで電車で移動し、
午後は石巻駅周辺を散策。
石巻立町復興ふれあい商店街や、
石巻まちなか復興マルシェなど。
夜は居酒屋で。

25(月)朝にJR石巻駅前のレンタカー屋で
レンタサイクルを借りて、石巻市内を散策。
昼は道の駅「上品の郷」で。夜はやきとり屋で。

26(火)は石巻から仙台への移動日でした。

27(水)は仙台市の若林区で
農地再生をしている団体でボランティア。

28(木)は仙台から南下し、亘理町や相馬市へ。
電車とバスで往復しただけですが。

29(金)は仙台から山形への移動日でした。

30(土)は山形からいわき市へ。
いわき市には夜に着き、市内を少し散策。

以上、ご参考になれば幸いです。

2012年7月3日火曜日

「被災地」での僕の足跡(前半)

昨日は「被災地」の歩き方について書きました。
今回は、その一例として、
僕のおおまかな足跡を記します。

16(土)夕方、気仙沼に到着。
バスで宿まで移動。
駅前の観光センタのようなところで、
付近の宿が一覧されている紙がもらえます。
ちなみに僕は、一覧には載っていませんが、
リアス唐桑ユースホステルに(駅から遠い)。

17(日)朝、荷物を置いて宿を出発。
気仙沼鹿折復幸マルシェや、
復興屋台村 気仙沼横町や、
気仙沼復興商店街 南町紫市場をぶらぶら。
少し遠いですが、アンカーコーヒーにも。
昼も夜も復興屋台村 気仙沼横町で食べました。
(もちろんお店は違いますが)

18(月)朝、リアス唐桑YHを出発。
またもや昼を復興屋台村 気仙沼横町で(笑)
昼過ぎにバスで陸前高田へ。
バスを陸前高田市役所前で降り、
旧市街地に降りていく途中にあった
「りくカフェ」というお店へ。
偶然入ったのですが、
そこで宿を紹介していただき、
旧市街地を回ったり宿に行くまでの足として
電動自転車を貸していただきました。
夜は宿までの道中にあった未来商店街で。
鈴木旅館というところに泊まりました。

19(火)朝、鈴木旅館を出発。
気仙沼を経由して、南三陸へ。
昼は南三陸さんさん商店街で。
その後、バスまで時間があり雨だったので、
商店街近くの「さんさカフェ」でまったり。
その後、バスで柳津まで移動し、
柳津からバスで登米市役所前へ。
そこでボランティアの拠点からのお迎えと合流し
登米市のとある場所にあるボランティア拠点へ。

2012年7月2日月曜日

「被災地」の歩き方

今日は、「被災地」の歩き方について。
といっても、僕が行った範囲だけですので、
陸前高田~気仙沼~南三陸~石巻~仙台。

●移動手段
・大船渡~陸前高田:岩手県交通バス
→割と本数が多いようです。

・大船渡/陸前高田~気仙沼:ミヤコーバス
→往復それぞれ2便ずつしかありません。
 気仙沼から陸前高田に日帰りで行くと、
 約1時間しか陸前高田には滞在できません。

・気仙沼~南三陸(志津川駅前):ミヤコーバス
→割と本数が多いです(片道7便くらい)

・南三陸~石巻
→南三陸(志津川駅前)~柳津駅は
 バス(片道7便くらい):ミヤコーバス
 柳津駅~石巻駅はJR(片道10本くらい)

・石巻~仙台
→石巻駅~矢本駅はJR仙石線
 矢本駅~松島海岸駅はJRの代行バス
 松島海岸駅~仙台駅はJR仙石線

・仙台~気仙沼/陸前高田/大船渡
→高速バスが運行しています。(岩手県交通バス)
 このバスを気仙沼~陸前高田/大船渡だけ
 乗るということはできません。。。

・東京(池袋)~釜石・大船渡・気仙沼
→高速バスが運行しています。けせんライナー

●宿泊場所
・大船渡:不明
・陸前高田:鈴木旅館(市役所から4キロ)
・気仙沼:たくさん
→駅前の観光センタで宿泊施設一覧が入手可能
・南三陸:さんさん商店街のwebに掲載あり
・石巻:ビジネスホテルあり。復興民泊
・仙台:たくさん

ご参考になれば幸いです。

2012年7月1日日曜日

東日本大震災の「被災地のいま」

気仙沼、陸前高田、南三陸、石巻、
ほかにも移動中に通りかかった場所々々。

2011年3月11に起こった東日本大震災の
被災地と呼ばれる場所を、ほんの一部ですが、
6月の後半にまわっていました。

被害の状況も、復興の状況も、現状の問題も、
その地域によってそれぞれですので、
全体としての印象を書くのは難しいんですが、

どの地域でも感じたのは、
「まだまだ復興の途上なんだな」
ということです。

津波で家や工場や船などあらゆるものが
流されてしまった地域では、
大きな瓦礫は撤去されて集められていますが、
逆に、なにもない状況。

地面に散らばる小さな瓦礫の破片や、
建物の基礎部分だけが残っています。
地盤は沈下しているので、
潮位が高いときには浸水しているところも。

瓦礫は撤去されているけど、
壊れたままで近づくと危険な建物もあります。

これから何回かに分けて、
僕が訪れた各地で感じたことや、
そこでの写真を紹介していきたいと思います。

ただ、「被災地のいま」を本当に知りたい人は、
絶対にご自身の目で見てみるべきだと思います。

ニュースで報道されていることや、
僕のブログを観ても、
見えるものはほんの一部ですし、
情報は恣意的に切り取られてしまいます。

その限定的な情報ではなく、
実際に足を運んで、五感で感じる。

「被災地のいま」を知るためには、
それしかないのかな、と思います。


6月は北海道・東北の旅でした。
7月はがらっと変わる感じになりそうです。