2012年7月5日木曜日

気仙沼にて

2011年3月11日の東日本大震災で
甚大な被害を受けた気仙沼にいきました。

いわゆる被災地と呼ばれる地域について
通りすがりに過ぎない僕が、
何かを語るのはとても難しいのですが、
自分が被災地の「いま」を訪れて、
どのように感じたかを残すために書きます。

僕は想像力・共感力がまだ低いので、
犠牲になられた方やご家族の方の苦しみを、
頭でわかった振りは多少できても、
心から感じ切ることはできません。

1年3ヶ月以上経ったいまでも、
中心街からはずれたところには、
壊れて瓦礫まみれの建物が残っています。
そのような建物を一つひとつ見ても、
「うわぁ」「まだ、、、」と思い、
気持ちが少し重くなる感じがするくらいでした。

・・・が、基礎部が残っただけで、建物は壊され、
あとは細かな瓦礫が散らばっていて、
車の残骸が一カ所に集められている場所に出て、
視界が開けた瞬間、言葉を失いました。

そのときに覚えたのは、あえて言葉にすると、
「さびしい」「かなしい」という情動。

亡くなられた方やご家族のことを思って、
ではなくて(僕には想像できません)、

ほとんどすべてが流され、
何もないままになっているその空間が、
あるべきはずの質量が存在していないような、
そんなさびしさやかなしさを覚えたんです。
人間でいうと、心が空っぽ、のような。

まちの中心部に近い地域や、
復興商店街のようなものがある場所は、
大型バスの観光客も来てにぎわいますが、
そうじゃないところは、
大きな瓦礫が撤去されただけの状態。

地盤も沈下しているので、
満潮に近づくにつれ、
どこからか海水が染み出て水たまりが。

ただの通りすがりに過ぎない僕には
復興商店街で美味しいご飯を食べるくらいしか
できることはありませんが、
この景色を、目に、心に、焼き付けよう。
そう、思いました。

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